凡猫の日記△

色々と吐いたり、共感してほしいことを呟いてみたり。きまぐれに。

虚無ってつまりは無関心

 お世話になっております、京猫です。

雨の空気感がすごく好きです。

夜は虚無の時間

よく夜になると、何もしたくない、何もする気が起きない、やらなければならないことがあるのにやる気が起きない、そんな信条になった挙句、寝転がって天井を見上げていることがある。天井を見ても何か方程式が書かれているわけでもないし、異変を察した友人から「何かあった?」なんて連絡が来る事も無い。ふと開いたTwitterに凄いことが書いてある事も無かった。

何もやる気がないから、ただただ時間をゴミ箱に捨て続ける状態。特に何かあるわけでもないのに、アルバムを開いて写真を眺めたり、意味もなくネットやSNSを探索したり、何度も何度も見て内容の分かり切っている動画を再生したり。何一つ糧となるものがない時間。

よくゲームなどに登場する事から、私はこれを虚無状態だと認識している。呼んでいると言った方が正しいのだろうか。

虚無になったから何も手につかなくても仕方ないと、言い訳できてしまうからすごく楽だと思う。

 

結局、虚無状態というのは無関心からくるものなのだろう。

人は誰にだって趣味や興味のあるものがある。テレビであったりスマホゲームであったり、楽器であったり、動画であったり……

でもその供給は永遠に続くわけじゃない。息をのんで見守るような、手に汗握る厚い試合中継も、ずっと笑い続けられそうなバラエティーも、時間が決まっているからどこかで必ず終了する。スマホゲームも、所謂スタミナがなくなればクエスト等は遊べなくなる。楽器や歌だって、夜になればあまり大きな音では行えない。

そうして趣味の物が途切れた時に、別の物に興味を移せるか。若しくは、例え興味が無くても勉強であったりとやらなければならない物にすぐさま切り替えられるか。

何もする気が起きない、というのは文字通り何もすることがない、したいと思えることがないという事。

「あーテレビ終わっちゃった……そうだ勉強しよう!音楽しよう!絵を描いてみよう!」

等、興味がある物が多ければ、どれかしらに時間を費やすことが出来るから、虚無なんて発生してる暇などない。虚無状態は、やることがない、やりたい事がないからこそ起こる心の空白時間なのだろう。

無論私も決して興味のあるものが少ないわけではないとは思っているが、取り組むことに前向きになれていないという事は、せいぜいその程度の浅いものだったのかもしれない。目標はあるが、恐らく私よりも本気でその目標を考えている人は、そんな時間が合ったら一回でも多く、一つでも多く基礎を鍛え、反復を繰り返し、糧を作ろうとしているのだから、度々虚無状態になっている私が追いつけるわけもない。

後に振り返って反省しても、ごみ箱に捨てた時間は帰ってこない。その後熱中したいものが出来て時間が欲しいとなっても、ごみ箱を漁っても捨てた時間を引っ張り出すことは不可能だ。

まあ、結局は自分の性格・考え方の問題なのだから、どちらにせよこれまでの人生において形作ってきた自分自身のせい。喜ぼうとも嘆こうとも、過去に過ぎ去った時間は二度と戻ってくることはないのだから、切り替えて明日に向かう事も重要なのだろう。

 

時間は本当に不思議な概念だと思う。

こうして文字を今この瞬間に入力しているのに、一秒後にはもうそれは過去のものだ。そう考えた時間も、一秒後には過去のものでしかなくなる。

数年前、十数年前の事を思い出すことがよくある。今となってはもう朧気な過去の記憶で、振り返ってみても事実でしかない。だが、その記憶の当時の瞬間、私は何かを考えていたし、嬉しい記憶の時は喜んでいた。部活動の記憶では、チームメイトを全力で応援し、点を取った際には感情を爆発させていた。恥ずかしいときは、死にたいと思う程羞恥の感情に悩んだこともあった。今では曖昧な記憶の一面でしかないその出来事も、当時の瞬間に私は、”今この瞬間”を生きていた。感情を強く動かしていた。

歓喜の瞬間も、何気ない日常の日々も、悔しくて、悲しくて眠れなかったあの日も、中学高校で新生活を迎えて、クラスで緊張していたあの日も、大学で引っ越してきて、一人暮らしで初めて夜を迎えたあの日も、私は間違いなくそこに生きていた。

……二度と味わう事の出来ない事柄だからこそ、時折思い出しては、懐かしさや寂しさ

、切なさで感情がぐちゃぐちゃにされ、膨れ上がって涙を流し、萎むと同時に今とのギャップを比較してしまう。

私は過去に縛られてばかりの人間だ。

よくアニメや漫画では、過去にいつまでも捕らわれるな、引きずるなといった展開が多いと思う。だが過去に囚われる、引きずっているというのはそれだけ過去を大事にしているという事でもあるのだ。今この瞬間に影響が出ない程度に過去に縛られるのも悪いことではない筈だ。私の場合はメンタルが弱いので、すぐに浸って懐かしさでいっぱいいっぱいになって耐えられないのだが。

 

本日はこれくらいで。

特に下書きもせず、思いつくままに書きなぐっている為、

話の軸があちこちズレて、駅を通り過ぎたり、蛇行したり、停車駅を間違えたりと中々酷い電車になっている気がする。まあそんな電車も外から見る分には面白いのではないだろうか。

それではまたどこかで。

「私にはギターすらないの」

お初にお目にかかります、京猫と申します。

猫と名前に入っていますが、本家お猫様のような愛くるしさは持ち合わせておりません。

ブログは匿名だから、日々の出来事や愚痴やら弱音やらを吐き出すには丁度いい、と友人にお聞きし、始めてみようかななんて思い立ちました。

 

 たいそれたことが書ける訳もなく

さて、こういったブログって、どういった経緯でアクセスされるのだろうか。ここを運用しているはてな様の新記事一覧みたいな場所があって、そこからアクセスされるのだろうか。それとも、例えば猫について書いた時、猫の名前等が検査エンジンに引っかかり、そこからアクセスされるのだろうか。

何れにせよ、私は人に誇れるような特技も技術も知識もない。日々の日記だったり、何かを吐き出す場所にしかならないかもしれない。運よく様々な歯車がかみ合って、数百人といったアクセスが来るかもしれない。誰からも見向きもされず、数人程度がチラ見してくれる程度かもしれない。

それでも、見てくれた内の一人でも、なにか糧にしてくれるものがあったり、参考にしてくれるものがあったり、こんな奴がいるのか、こいつに比べれば自分もまだまだ頑張れるな、等々何かあれば嬉しい。

 

「私にはギターしかないの!」

とりあえず今回は、最近悩んでいることに関して記しておこうと思う。

私は今絶賛就職活動大不調中の大学生。

就職活動に欠かせない要素の一つとして、自己PRや長所がある。

私は自分に自信が持てず、いわゆる自己肯定感が壊滅している性格だ。

それでも就活の履歴書には自己PRや長所を描かなければならない。

それらを追い求める最中、ふと脳裏に浮かんだ台詞があった。

それが上記の「私にはギターしかないの!」という台詞だ。

 

御存じの方も多いとは思うが、上記のセリフはBang_Dream!こと、バンドリ!ガールズバンドパーティーという作品に登場する、氷川紗夜の台詞だ。

f:id:kyoneko:20210423002429j:plain

f:id:kyoneko:20210423002434j:plain

簡潔に説明すると、時はガールズバンド大ブームの時代。七つのバンドに属する高校生達が、それぞれのバンド活動を通じた成長や交流を描いた物だ。

バンドリの特徴としては、リアルライブがある事だろうか。

七つのバンドのうちの四つは、そのキャラクターを演じている声優が実際に楽器を演奏し、リアルでライブも行われている。

先述した氷川紗夜は、このリアルライブを行っているバンドの一つ――Roseliaのギター担当だ。

氷川紗夜を一言で言い表すなら、「超真面目でストイック」だろうか。

勉強、バンド、部活動の弓道等……何事においても妥協を許さず、納得がいくまで練習・稽古・鍛錬を日々積み重ねている程に真面目な性格なのだが、その反面、お菓子教室に参加する事になった際には、○○mmの厚みに伸ばす工程において定規で長さを計ろうとしてしまう程だ。

そんな性格の彼女には双子の妹――氷川日菜がいるのだが、この日菜、台本を一度見ただけで覚えたり、どんなことでも少しやるだけでマスターするなど、所謂天才なのだ。それでいて紗夜の事が大好きなので、姉のやる事を真似していた。紗夜が積み重ねたものを日菜はあっさりと超えていく。それもあって紗夜は日菜にコンプレックスを抱いていた。

長々と遠回りしてしまった気がするが、詰まるところ、

姉大好きな為に姉の真似をしてギターを始めた日菜に対して、貴女は何でも出来るでしょうけど、私にはギターしかない、と言い放ったといったところだろうか。

彼女は自信がないわけではないだろう。積み重ねてきた練習に支えられた地震やプライドはあるだろう。実際彼女の技術はかなり高いのだが。

後に、実力に自信を持てない同バンド内のメンバーに、自分自身に自信を持てないのは、自分を信じてくれている人を裏切る事。といったような事を発言している事からも、彼女は自分自身に対する自信がある。だからこその、私にはギターしかない発言なのだろう。

 

……結局お前は何が言いたいのかというと、ギターしかないの”ギター”すらない人がどれだけいるのだろうかという話。

こんな私でも徐々に自信を持てる物は出てきているが、それはあくまで自分の中の比較的結論なだけである。世間一般的に見れば、せいぜい平均レベルがいいところだろう。

私にはギターすらないのだ。自分の中では誇れるものがあったとしても、一歩社会に出てみればそんな物は道行く通行人A程度の存在でしかない。

Twitterを見ていると、自分より年下なのに、素敵なイラストを描いていたり、創作活動をしていたり、ギター、ドラムなど楽器を演奏していたり、自分なんかよりも遥かに

大人びた言動をしていたり、行動力があったり、という方が多い。

才能がない、才能がある、とひとまとめに出来るが、才能という言葉はすごく便利な言葉だと思う。

あいつには才能があるから、自分には才能がないから、と簡単に現実逃避出来る言い訳になるから。

自分が大した努力をせずに来た結果を、才能がないから仕方ないと結論付けられるから。

ギターしかないと言えるのは、そのギターを日々研ぎ澄ませてきたから。

 

 

自己PRや無理やり作り上げた長所なんて、努力を続けてきた本当の長所には敵わない。

逆に言えば、自分にはこれしかない……って思える物があるのなら、それは誇っていい物だと思う。あきらめずに続けてきた結果が、自信を生んでいるのだから。

そもそも、自己肯定感が死体化している私からすれば、勉強、部活、仕事、行動力、コミュニケーション能力、楽器、ユーモア、絵、文章、リーダーシップ等々……いずれかの点において他人は皆私よりも上の優れた人物に思えてくる。

こんな自分でも無理やり考えてみれば、長所っぽい物を形作って偽ることは出来たのだ。落ち着いてじっくり考えてみれば、長所はすぐに見つかると思う。

顔も名前も知らない奴に安心しろといわれても安心出来ないとは思うが。

長所や、その先にある面接は、ある意味では演劇なのだ。

同じ内容でも、自信なさげに言うのと自信満々に言うのでは受け取る印象は全く違って見える。私のように自信の持てない内容だったとしても、どうせ不採用となればその後関わることは早々ないのだ。今から自分は自信満々な就活生を演じるのだ。と考えるだけでも、少しは自信のある態度になれるのではないか。

一体何人がこのブログにたどり着いて目を通してくださっているのかは分からないが、ほんの少しでも心の励みになれば、なんて傲慢なことを考えたりしている。

 

ちなみに余談だが、紗夜は後に日菜を受け入れて無事に和解し、Roseliaの狂犬と呼ばれた性格も、牙が抜けて軟化した。

f:id:kyoneko:20210423002352j:plain

今現在の紗夜を言い表すなら、「私にはギターと日菜とポテトとNFO(ゲーム内に登場するネットゲーム)と犬しかないの!」といった感じだろうか。心のよりどころが増えたのはいい事だろう。ポテトに関しては公式からもネタにされている感じはあるが。

 

(画像:バンドリゲーム内より)

吐き出す場所として、気紛れに更新していこうと思います。

それではまた何処かで。